日本の戦国武将で最強の呼び声も高い真田幸村(本名は真田信繁ですが、以下幸村で統一します)は、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」で取り上げられたことから、全国的にブームになっています。
真田幸村の特長は、その武力はもちろん、優れた戦略眼が素晴らしいです。そして、経営者がその真田幸村の戦略を学べば、自分の会社の業績を大幅にアップさせることにつながります。
なぜなら、真田家はいわば中小企業のような存在。織田家や武田家、北条家などの大企業に囲まれ、さらには徳川家という巨大企業を恐れさせるほどの活躍を真田幸村がしたからです。
今後、TPPの導入などで日本に海外企業がどんどん侵入してくることも予想されます。また、これまでの産業が消え、あらたなベンチャー起業が盛んになる可能性もあります。
そんな中で、したたかに生き抜く経営戦略を真田幸村から学んでみませんか?
目次
中小企業経営者がとるべき経営戦略は真田幸村に学ぶべきである6つの理由
経営者、特に中小企業経営者にとって、真田幸村の経営戦略は非常に参考になります。その理由は主に6つあります。
理由①:徳川家に比べて弱者であることを熟知していた
真田家は、幸村の祖父幸隆の代から、戦国時代の荒波にもまれながらも生き残ってきました。その優れた戦略眼は幸村にも受け継がれています。
今の世の中も、古い産業がどんどん消え、新技術を使った産業が表れては消えています。そして、徳川家のような強者が一気に勢力をのばしたりします。
そんな中で生き抜くには、後に述べる「ランチェスター戦略」のような弱者が強者に勝つ戦略が必要になるのです。
理由②:人材登用の手腕がすごい
一人でなんでもやろうとする経営者は失敗します。ましてや、巨大な企業や伸び盛りの企業と互角に戦うには、優れた仲間を得る必要があります。
そこで、真田幸村の人材登用の手腕は学ぶべきことが多いと思います。
理由③:驚異的な辛抱強さ
幼少期から20代にかけては人質として各大名家を転々とし、関ヶ原の戦いで負けた後は九度山に14年間も幽閉された真田幸村。その辛抱強さは驚異的です。あなたは経営がうまくいかないからと、数年であきらめていませんか?
理由④:得意分野を絞る
NHK大河ドラマのタイトル「真田丸」は、大坂冬の陣で真田幸村が築いた砦のことです。これは、守っていた大坂城の南側が唯一の弱点と知り、そこに集中して守ることで、数ではるかに勝る徳川勢を撃退したのです。
中小企業経営者は、特に得意分野に絞ることが大事です。
理由⑤:情報を徹底的に集めた
インターネットや電話がなかった時代、正確な情報は命と同等に大事でした。真田幸村がいかに情報を大事にしたかは参考になるはずです。
理由⑥:決断力
この決断力がなければ、上記5つがいくら優れていても意味がありません。いざというときに臆病になってしまっては、チャンスを失ってしまうからです。
現在は戦国時代と違ってすぐに命を奪われることはまずありませんが、だからといって決断をせずに手をこまねいていては、時代の変化に取り残されてしまいますよ。
それでは、具体的に見ていきましょう。
真田幸村が使った弱者の戦略
真田幸村はランチェスター戦略を使っていた
ランチェスター戦略とは?
真田幸村がとった戦略は、中小企業経営者に好まれる「ランチェスター戦略」でした。
第一次世界大戦の頃、イギリス人のエンジニアF・W・ランチェスターが唱えたこの理論は、
「差別化戦略」
「一点集中主義」
「局地戦」
「接近戦」
「一騎討ち戦」
「陽動戦」
などを特徴にしています。ちなみに、この戦略では圧倒的な強者以外は全て弱者と定義づけています。
中小企業経営者に最適な戦略
このランチェスター戦略は、中小企業がとる戦略としては最適です。資本力やブランドがある大企業に同じような経営戦略をとれば、資金力や経営体力で負けてしまうのはほぼ確実だからです。
大手スーパーに小さな八百屋さんが価格で対抗しても、大手が激安セールを繰り返せばまず勝てませんよね。無農薬野菜をアピールするとか、特定の固定客をひいきにするなど、大手とは別の戦略をとる必要があるのです。
上田合戦に見る戦略
ランチェスター戦略を使った戦いの例として、真田幸村が、父親の真田昌幸の元で徳川軍と戦い、見事に退けた「第二次上田合戦」があります。
すでに「第一次上田合戦」で一度徳川軍を退けていたので、真田軍の10倍の軍勢で上田城に押しよせてきた徳川軍。正面から戦ったら勝てません。
そこで、城内での局地戦にもちこむために、降伏するそぶりをみせて時間稼ぎをし、相手を挑発して城の中に敵を陽動し、その敵を取り囲んだり、一騎打ちに持ち込んだりして10倍の敵を退けたのです。
中小企業経営者も、例えば自社の商品を宣伝するときに、大企業のCM戦略やチラシ、DM戦略を真似しても、二番煎じにすぎませんし、資金力も負けてしまいます。それよりも、ターゲットを絞ってランチェスター戦略を使った方が良いです。
経営者が学ぶべき真田幸村の人材登用方法
真田十勇士の逸話
真田幸村は、人材登用にも情熱を燃やしていたと言われています。自分一人がいくらがんばっても、ダメだということがわかっていたからでしょう。
そんな真田幸村の配下として有名なのが「真田十勇士」です。
猿飛佐助、霧隠才蔵、三好青海入道などなど、小説だけでなくアニメやマンガ、テレビゲームにもよく取り上げられるのですが、この真田十勇士の活躍はフィクションであるようです。
真田十勇士には実在のモデルが?
ただし、この真田十勇士にはそれぞれ実在のモデルがいるようです。ですので、真田十勇士が生まれた背景には、真田幸村がそれだけ家臣を大事に、重用したことがあるのでしょう。
類は友を呼ぶ
志をもった人には、多くの仲間が不思議と集まってきます。
それは単なる偶然でしょうか?真田十勇士の逸話が生まれたように、真田幸村の下に優れた家臣が集まったのですが、経営者であるあなたの下にも優れた人材が集まるにはどうすればよいのでしょう?
それには、あなたに他人を引き寄せる魅力が必要です。
魅力といっても表面的なものでなく、内側からにじみ出るような魅力のことです。真田幸村も史実では小柄で、大坂冬の陣の時には長い幽閉生活で髪やひげが白くなり、前歯も抜けた老人のようであったと言われています。外見でも口先でもなく、真剣な志をもつことで、優れた社員は集まってきて、また育っていくのです。
あなたは14年我慢できますか?
真田幸村の幽閉生活
人質時代
華々しい活躍ばかり有名な真田幸村ですが、その人生は苦難の連続でもありました。まず、幼少期から20代にかけて武田家、上杉家、豊臣家と、人質として各地を転々としていたのです。
九度山へ幽閉
天下分け目の戦と言われる関ヶ原の戦では、真田幸村は父昌幸とともに西軍に参加し、敗戦しました。そのため、父と共に九度山に追放処分になり、なんと14年も謹慎生活を送ることとなりました。その間、父昌幸は死亡したのです。
チャンスを逃さない
そんな幽閉生活にもめげることなく、豊臣秀頼の使いに応じて九度山を脱出した真田幸村。14年もブランクがありながら、その後の大坂冬の陣、夏の陣の活躍は周知の通りです。
大成功を収めた経営者も、事業に失敗したり破産したりを繰り返しながら、また復活します。
アメリカ大統領選挙での過激な発言が世界で注目されているドナルド・トランプ氏も4回破産宣告をし、どん底の生活を乗り越えて復活しています。
どれだけ長いトンネルも、必ず出口があると信じて我慢できる人だけが大成功を手にするのです。
家康との共通点
ちなみに、真田幸村の最大の敵徳川家康も、長い人質生活を送り、我慢を重ねました。
という俳句は、家康の人生をよく表しています。
選択と集中
「真田丸」が強かった理由
「真田丸」とは
「真田丸」は、大坂冬の陣で真田幸村が、大坂城の南側に築いた砦です。幸村はもっと積極的に相手を迎え撃つ作戦を提案したのですが却下され、苦肉の策としてこの「真田丸」を築いたのですが、結果的に多くの徳川軍を撃破しました。
一点集中
この「真田丸」が圧倒的に強かった理由は、相手を自分の土俵に持ち込んだからです。つまり、ランチェスター戦略でも述べた「一点集中主義」です。
相手の数がいくら多くても、相手を少数ずつ引き込んでから、一騎打ちにしたり、陽動して囲い込めば、勝つことができるのです。
得意な迎撃戦法に持ち込む
このように、自分の得意なところに相手を引き込み戦うのが、中小企業経営者が強者に勝てる唯一といってもよい、経営戦略です。
迎撃するには、戦場をどこにするかを選択し、いったん選択したらそこに集中することです。それが、真田幸村にとっては「真田丸」であったのです。
経営者に大事なフォーカス思考
「真田丸」のように、経営者にもなにかに集中することが大事です。飲食店がいろいろな料理に手を出しても、全てが中途半端になる上、より資本のある外食チェーン店が近くに進出してきたら一気に苦境に陥ります。
それよりも、
「中華料理なら一番」
「サービスの質が最高」
「店の雰囲気が比類ない」
など、なにかにフォーカスする思考がまず大事です。
情報を制する者は戦場を制す
忍者を使った情報収集力
情報は命と同じぐらい大事
戦国時代、正しい情報は自分や自国の生死を左右するほど大事なものでした。また、相手を攪乱するために誤った情報を流すこともあったため、情報の選別も大事でした。
そのため、忍者はとても大事にされ、優れた忍者を採用することに多くの戦国大名は苦心しました。
情報を有効活用
いくら正しい情報を得ても、それを有効に生かせなければ意味がありません。何のために情報が必要なのか、事前に考えておくことが大事です。またそうでなければ、どんなに優れた情報も猫に小判なのです。
桶狭間の戦いとの共通点
ちなみに、情報を有効に使った武将の代表格が織田信長です。信長も、「うつけ者」と評されるほど思慮が浅いイメージがあったのですが、実はそれは世を欺く姿でした。そのことがよくわかったのが、今川義元を倒した「桶狭間の戦い」です。
この戦で信長は、今川義元軍の動向を逐一集め、陣形がばらけたことや本陣の守りが薄いことなどを探り当てました。逆に相手には自分たちが無策であるように装い、相手の油断を誘いました。
IT社会における情報収集力
そのような真田幸村や織田信長の情報収集力を聞いて、「今はIT社会だから、インターネットでいくらでも情報が入ってくるから関係ないよ」と思っていないでしょうか?その考え方は危険です。
確かに情報はいくらでも入ってくるようになりましたが、その全てに目を通す時間があるでしょうか?
経営者は情報収集だけでなく、様々な実務もありますので、実は正しい情報源を得ることは戦国時代以上に困難かもしれません。
いくらインターネットが発達しても、やはり最後に物を言うのは「人」です。正しい情報をくれる人、情報収集をしてくれる人を大事にすることが大事なのです。
家康への最期の奇襲に見る決断力
関ヶ原で真田家がとった決断
最後に大事なのが決断力です。今の激動の社会には、特に思い切った決断が求められます。真田幸村も、様々な決断を迫られますが、関ヶ原の戦いの際に真田家がとった決断は、究極の選択ともいうものでした。
犬伏の別れ
「犬伏の別れ」というその決断は、幸村と父昌幸が西軍に、兄の信之が東軍につくという苦渋の決断でした。生き残るために家族で争う、そんな決断も場合によってはあるかもしれません。
大坂冬の陣へ参加する決断
その関ヶ原で敗戦し、九度山に14年幽閉された幸村。大阪冬の陣に参戦するときに、また豊臣方につくか、徳川方につくかの決断を迫られます。そして、幸村は敗戦の可能性が高い豊臣方についてしまいます。
その決断が正しかったかどうかはともかく、打算や損得だけでなく、自分のポリシーを大事にすることも大事なのです。
家康に奇襲をかける決断
そして、真田幸村が敗色濃厚となった大坂夏の陣で、相手の大将である徳川家康に対して行った奇襲は、幸村の最期の決断となりました。
でも、やけになったわけではなく、あくまで一発逆転をねらっての奇襲でした。
あなたも、いくら経営戦略を練っても、うまく行かないこともあるでしょう。そんな時、思い切って勝負をかけることがあるでしょう。そして、やると決めたら、絶対に退却しない決意が必要な時もあるのです。
まとめ
真田幸村は、残念ながら大坂夏の陣で討ち死にしてしまいました。でも、あなたは失敗したからといって命まで奪われることはまずないでしょう。ですので、やりなおしは何度でもきくのです。
ぜひ、弱者の戦略で強者に立ち向かう、そんな経営戦略を身につけてください。
ところであなたは、優れた経営者の多くが歴史小説を好んで読むことをご存じでしょうか?過去から学んで、自分の経営戦略に役立てているのでしょう。
真田幸村の戦略はその典型例ですが、他にも優れた歴史上の人物がたくさんいますので、謙虚に学んでみると新たな発見があることでしょう。
おすすめの歴史小説例
宮本武蔵(関ヶ原敗戦後、全国を武者修行する壮大なストーリー)